もう数年経ちますが、まだあの球場の興奮を昨日のことのように思い出します。自分の贔屓のチームが、日本一の称号を手にしたんです。
野球少年だった自分が、夢を、進路を修正しなくてはならなくなったのは高校に入りたてのことでした。ベタですが怪我が原因です。でも大好きな野球からは離れられなかった。今では応援する側として、全力投球しています。
普段はごく普通の会社員としてプロジェクトを動かし、たまに向かう本拠地での応援にはフル装備、レプリカユニフォームに鳴り物、球団オリジナル帽子にお手製応援ボード…といった出で立ちで駆けつけるのです。週末には飛行機の距離を応援に向かうこともしばしば、各地で顔見知りができているほどです。
そしてシーズンも締めくくりに近づいてきて、あまりにも注目のカードの試合が連日のように続き、私も遠征が続いたところで、手持ちのお金をすっかり使い切ってしまったことがありました。生活費用の銀行口座にもさほど残っていなく、貯蓄は貯蓄ですぐ使えるような形ではなかったため、弱り果てた私が選んだのがキャッシングでした。
借り過ぎは良くないだろうと、取り急ぎ3万だけをキャッシングで引き出し、次の給料日での全額返済となりました。それ以降は、応援日は必ず財布の中身に余裕を持たせるようにしています。
息子が留学して1年が経った頃のことです。当初の予定では日本に帰国してくるはずだった時期ですが、本人の学びたい意志が強いらしく、カリキュラムを伸ばしたのだったか別の学校にも入り直すことにしたのだったか、もう1年その国にいることになりました。
その報告に慌てふためいたのが私と夫です。苦しいながら捻出した息子の学費は、1年分しか出してやれなかったはず。でも息子はそれも理解はしていて、それまで生活費などを切り詰め、バイトも掛け持ちし、親の私達が驚くような額を用意していました。これでは反対する大きな理由はありませんでした。
ただ、息子が言うには最後の数か月は勉強が本当に大変になるからバイトも全くできなくなる、けれど資格は欲しいから絶対に修了したいとのことで、私達の頑張る必要がより強くなりました。息子の頑張りに応えなくてはと思ったんです。
ところがその時期になって、夫と二人何とか働いていても息子の必要とする仕送り額を満たしてやれない事態に陥り、困り果てました。そこで、私達はキャッシングに頼ることにしたのです。キャッシングには抵抗も、また、返済に関する心配もありましたが、とにかく数か月の辛抱だと自分に言い聞かせて。
日本の空港で再会した息子は、涙で出迎える私にしっかり感謝を伝えてくれました。